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龍崎孝副学長(社会学科教授)に龍崎ゼミ1年生がインタビュー!(その2)

前回(https://www.rku.ac.jp/news/36882/)に引き続き、龍崎ゼミ1年生による龍崎孝副学長(社会学科教授)のインタビューをお届けします。今回は新聞社・テレビ局でジャーナリストとして活躍してこられた龍崎先生のこれまでのご経験や、現在のジャーナリストとしてのお仕事について伺いました。

■ジャーナリズムとは「自分自身」である。

Q 先生の出身や経歴などを教えてください。
A 神奈川県の川崎市で生まれましたが、父親が国家公務員だったので3年に一回、転勤がありました。東京、埼玉、茨城で小学校を過ごし、千葉市で中学校卒業、船橋市で高校を卒業して、大学は横浜です。だから土地に対する愛着っていうのがあんまりなくて、移動するのが大好きみたいな性格になってしまいました。

大学卒業後、毎日新聞社に入って10年、TBSテレビに21年いました。新聞もテレビも勤務地は東京ですが、取材で全国を回るので47都道府県でいってないところはありません。外国も20ヵ国以上訪れたことがあります。

Q 先生にとってのジャーナリズムとはなんでしょう。
A 私にとってのジャーナリズムとは、かっこよく答えれば、自分自身ってことでしょうか。物事を広く多くの人にどう伝える時に大事なことは、公平、公正、透明を心がけるということです。社会にはいろんな意見があるし、自分はこうじゃないかって思っても、できるだけ偏っていないかな、自分なりの意図とかが潜んでないか、常に気をつけながら書いていくことがジャーナリズムの世界と思います。実はジャーナリズムの世界は、客観ではなく、本当は主観性が大事です。「私はこう思う」ということを、外から見たら、なるほどこういう理由なのか、ということが分かるように伝えていくのがジャーナリズム。そう言う意味で「自分自身」って言うことかなと思います。

■取材者としての苦労-東日本大震災・ロシア
Q 取材で一番苦労したことは何ですか。
A 一番苦労したのは2011年の東日本大震災ですね。震災の一ヶ月後に現地に入って、気仙沼で取材拠点の支局を開設し、一年間過ごしました。昼間は取材したり中継したりして、夜になると市民のみなさんのところにお酒とか持って話し込んだりしました。その取材自体を辛いと思ったことはないですが、被災された人たちが今どんな気持ちなんだろうとか、よそ者の我々をどういうふうに思っているんだろうとか、コミュニケーションの中ですごく気を遣いました。

もうひとつ大変だったのはロシアでの取材ですね。取材中に半日ほど拘束されたり、写真を撮っていて、兵士に銃を突きつけられるという経験もありました。リスクのある世界は、今考えたら面白かったなと思いますが、その場ではハラハラです。そんな体験もしました。


JNNモスクワ支局時代の龍崎先生

Q 先生は学校以外の仕事ではどんな一週間をすごしていますか。
A 学校以外の大半は、岩手県の八幡平の自宅にいます。月曜日に新幹線で松戸に出てきます。月火水木、授業や副学長の仕事をして、木曜日の夜か金曜日になると岩手に帰ります。土曜日は、仙台で二時間の生番組にテレビ出演しています。日曜日はお休み、それ以外にテレビや地方での講演があれば全国どこでも行きます。毎週日本中をぐるぐる回っている感じですね。

Q 先生の出演しているメディアは何ですか。
A TBSの番組によく出ていますが、そのほかにも、日本テレビ系の番組にもよく呼ばれて行きます。そのほかBS-TBSのSDGs関連の番組でメインキャスターをしています。ラジオ番組だと岡山の山陽放送に毎月一回出演しています。ほかには、龍崎孝の政治・時事チャンネル【DRAGON ROOM】(https://www.youtube.com/channel/UCpFV_O4Afuk_W-kqJ9SmiEQ)という名前でユーチューブ配信もしています。活字ですと週刊の雑誌で月一回くらい書いています。

*その3に続く(次回は素顔の龍崎先生に迫ります!)