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法学部ってどんなところ?「誰もがよりよく生きるために」

民法を学ぼう〜誰もがよりよく生きるために〜

 みなさん、こんにちは!今回の「法学部ってどんなところ」では、民法がご専門の西島先生にお話を伺いたいと思います。西島先生は流通経済大学法学部の教員ですが、現役の弁護士としても活躍しています。民法は、法学部に入学すれば必ず学ぶ法律であり、私たちの日常生活とも密接な関係がある法律です。そこで西島先生には民法とはどのような法律であるのか、また大学で民法を学ぶことの意義についてお聞きしました。

<教員紹介>
西島 良尚:法学部ビジネス法学科教授(大学院法学研究科長)
早稲田大学大学院法学研究科修士課程修了、現役弁護士 2007年より現職
専門:民法

 

―――法学部で学ぶ法律の中でも「民法」は特に基本で重要なものだと聞いていますが、それはどういう法律か教えてください。
西島:それは良いのだけど、その前に「大学で『法学』を学ぶ」という場合の「法」とはどういうものなのか明確なイメージってあるかな?

―――えーと・・・、「社会のルール」と言えばいいのでしょうか?
西島:うん、いい線だけど、ちょっと不正確かな。

―――じゃあ、どう言えばいいのでしょうか?
西島:そうだね、「法」というのは確かにルールの一種なんだけれど、その決定的な特徴は、「国家権力(強制力)による裏付けのあるルール」という点なんだ。社会にはエチケットや道徳、それから家庭のルールから学校のルール、さらには会社のルールというものまでいろんなルールがあるんだけれど、こういった法律以外のルールの場合、それを守らせるための事実上のプレッシャーやペナルティーはあっても国家権力までは出てこない。

―――なるほど。法律の場合にはそのルールに違反すると国家権力によるペナルティが課されると言うことですね。
西島:そうだね。このことは「刑法」という法律のことを考えるとよくわかるよ。この法律は、どういう犯罪行為に対してどういう刑罰が科されるかを定めるもので、これに違反した場合には、国家権力の最たるものである「刑罰権」が登場するある意味コワーイ法律なんだ。

―――国家権力による罰則が用意されているというのは民法の場合にも同じですか?
西島:民法は、刑法と違って直接国家の刑罰権を予定した法律ではないんだ。民間人どうし(民と民と)の関係を規律する「法」といえるね。取引上の契約とか、交通事故などの「事故」の損害賠償だとか、夫婦の婚姻とか離婚とか、相続とか、トラブルが生じなければ、大体話し合いで解決する問題だね。でも、・・・

―――でも、話し合いでまとまらなかったら、裁判に訴えて、判決で命令を出してもらえる。
西島:そうそう、よく分かっているね。たとえば、「売買契約」で買主が商品を受け取ったのに代金を支払わないとき、売主は代金を払えという訴えを提起して裁判所の判決をもらえる。それでも買主が代金を支払わないときは、判決に基づいて買主の財産を差し押さえて「強制執行」できる。民と民との争いに、国家権力の中でも司法権を司る裁判所が関与して、その判決に基づいて国家権力の助けを借りてルールの内容を「強制」できるんだね。

―――そうか。分かりました。民法は「僕らの身近な生活や仕事に関わるいろんな分野でのルールで、そのうちの最終的には国家の強制力のサポートがあるもの」ということになりますね。
西島:いいね、いいね。ますます分かってきたね。民法は、民と民との関係を規律する基本法なんだ。そして、たとえ内閣総理大臣だろうと、エライ役人だろうと、みんな民間人としての生活も送っているわけだから、民法は、すべての人の身近な生活に適用される法律といっていいんだ。そして民法は、民間のビジネスに特化した分野を規律する商法の基礎でもあるから、民法を勉強しないで「法律」は語れないと言っても過言じゃない。だから、公務員試験でも、各種国家試験でも民法は必須だし、比重も大きいんだ。

―――勉強して「大変お得」な「法律」科目なんですね。
西島:そういう「目先の利益」にも役立つけど、民法に限らず「法学」は、今自分たちが生きている国や社会の骨格や仕組みがどういうふうな原理・原則できているのかを知るために最も重要な専門分野ということもできるね。「経済」や「経営」の分野も「法律」の仕組みを知らないで十分に理解することはできないと言ってもいい。人が生きていく間、ナガーク、役に立つ「知恵」の源のような専門分野だといってもいいね。 

―――先生、売り込みがウマイですね。
西島:それから、「法学」の勉強は、とかく六法全書の無味乾燥な条文を覚えていくようなイメージがあるけど、それは、違うということを言っておきたいね。現代の世界の先進国の「法」は、その主な部分について、古代ローマから続く2000年以上の歴史をもっている。ほんとだよ。ここで最後に言いたいのは、現代法も、50年や100年でできたものじゃない。人間の長い、長い経験に基づき、いろんな場面で、何が「公正な」(フェアーな)ルールかということが、考え続けられた「結晶」のような成果と言ってもいい。それを学ぶには、細かい条文よりも、巨大な建築物の構造や柱の部分をよく理解し、全体の構造を知るような勉強をするといいね。それが、そのまま自分たちが生きている社会や時代を知ることにつながるんだ。

―――ヘ~、奥が深いんですね。
西島:奥が深くて広いね。でも、どんな分野でも、「学ぶ」ことの真髄は、自分自身をよりよく知るため、そして自分の生きている社会のことをよりよく知るため、そして、それは誰もが「よりよく生きる」ために大変重要なことだね。